2021年4月「最も大事なこと」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二

今年も春の季節がやって来ました。やっぱり春は良いですね。桜をはじめ、あちらこちらに美しい花を観ることができます。春というだけで、希望が生まれてくる感じがします。キリスト教会においても、春の季節は、特別な時です。それは、毎年、この時期に「イースター」というお祝いの時があるからです。キリスト教会にとってイースターというのは、クリスマスと同じくらい、いや、それ以上に重要な意味を持つ日なのです。なぜなら、イースターがるからこそ、私たちがキリストを信じる意味があるからです。

 では、イースターとは、いったい何なのでしょうか。「イースター」というのは、日本語で言えば「復活祭」と呼ばれるわけですが、それは、十字架に架かられて死なれたイエス・キリストが、三日目に死からよみがえられたことを記念してお祝いする日なのです。

  聖書の中に、パウロという人が、最も大事なこととして語った言葉があります。 
「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパ(ペテロ)に現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。」(Ⅰコリント15:3∼6)

 キリスト教信仰の中で、最も大事なことが、ここに描かれています。それは、キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれたこと、そして三日目に死からよみがえったことです。なぜ、キリストの復活がそんなにも重要なのでしょうか。キリストは、この世で生活をしていた時、人々に「わたしは神の子キリスト(救い主)である。」と語っていました。でも、その「神の子」も、死んで葬られたままなら、普通の人間に過ぎなかったということになります。そして、人が、どんなに「イエス・キリストが私の罪のために死んで下さった救い主だ。」と信じたとしても、ただの人間を勝手に救い主だと言っているだけに過ぎず、その信仰には、私たちの罪を赦す力も何もないことになるのです。

 しかし、聖書は、確かにキリストは、死なれた後、三日目によみがえり、今も生きているまことの救い主だ、と言っているのです。そして、このキリストの十字架と復活を信じる者に、神は、罪の赦しと永遠のいのち、そして神の子となる力を人に与えて下さるのです。

 確かにこのことは、信じがたいことであるかも知れません。しかし、このことを信じるようになった多くの人々の内にキリストは、確かに生きて働き、救いの喜び、永遠のいのち、神の子どもとして生きる希望を与え続けているのです。あなたも、この、今も生きて働いておられるキリストを救い主と信じ受け入れてみてください。必ず、あなたの人生に真の神のいのちが宿るようになります。皆さんが、主イエス・キリストと出会うことができますようにお祈りしています。