2023年2月「愛の神様」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 私達の教会は御影神愛キリスト教会と言います。元の教会名は東灘神愛教会と言いました。現在の神愛子供ホームのあるところにありましたが、火災で焼失してしまいましたので、当時伝道館として用いていた会堂を御影の現在の地に移った時、改名したのです。命名の理由は、私達の信ずる神様は「愛の神様」だからです。ヨハネの福音書3章16節にある「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」この御言葉を常に頂戴して信仰生活をする愛の教会の群れだからです。

愛の神様は、常に私達にイエス様を信じる信仰を与えて下さいます。人は、自分の力で、自分を救うことは出来ません。弱い私達人間は、神様の愛の助けによってだけ救われます。ローマ10:13「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるように神様は、心で信じ、口でイエス様を私の救い主だと告白するならばどんな人でも救われるのです。愛の神様は、分け隔てをされない神様です。人の持っている能力や人種、国籍に関係なく信じる者に信仰を与えて下さいます。感謝!

愛の神様は、いつでも希望を与えて下さいます。この希望は破られない希望です。 ローマ15:13「望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」とあるとおりです。また、ペテロも教えています。「選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それ(キリスト様)により頼む者は、決して失望に終わることがない」。Ⅰペテロ2:6イエス・キリスト様は希望の神様です。

愛の神様は、私達に愛を与えて下さいます。私達は愛される価値の無い者ですが常に私達に「私の目には尊い」と神様は言って下さるのです。神様の愛は聖書の中で示される「愛」です。私達が使う愛ではありません。新約聖書原語はギリシャ語ですが「愛」は四種類あります。 1エロース(性愛)2フィリア(隣人愛) 3ストルゲー(肉親の愛)4アガペー(自己犠牲愛)です。この弱い私達を神様はアガペーの愛で包んで下さるのです。感謝しましょう。弱い私達を今日も神様は守り導き助けて下さいます。ここに譬えがあります。愛の神様の姿をルカ15:11~32に現されている父親と放蕩息子の回復の姿に見ることが出来ます。

裕福な家庭に育ち、世間知らずに何不自由なく暮らしていた弟息子が、ある日突然父親に言いました。財産の分け前を下さい。父親は次男坊の要求どおりに生前分与をしました。次男坊は大金を持ち好き勝手なことの出来る遠い国に行きました。日ならずして世間知らずの息子は、放蕩に身を持ち崩し持っていた財を使い果たしました。悪いことに国に飢饉が起こり、食べるものもなくなりついには豚の餌を食べたいと思うほどになってしまった時、彼は我に返りました。そして父の所に帰ろうと考えました。彼の決心は父親に「お父さん私は神様に対してもお父さんにも罪を犯しました。もう、あなたの息子と呼ばれる資格はありません。どうか雇い人の一人として雇って下さい。」と願おうとして帰路につきました。しかし、父親は遠く離れていたのに、息子を認め、哀れに思い走り寄って、接吻をし、よく帰って来たと言って迎えられたのです。父親の行為こそ愛の神様の姿です。